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【中小企業班】「有色の帝国」の呪縛

こんばんは!K9のまりあです!
 
 
今日は中小企業班顔合わせご飯会でした!
 
ステーキの食べ放題をご馳走してもらいました。
とーーーってもおいしかったです!
かみやんさんはたくさん料理の写真を撮られてました。
そのなかでもかみやんさんお気に入りの一枚はこちらだそうです。
ユッケS__4874410
ユッケです。
 
 


そしてそのあと論文ミーティングをするために入れるお店を探したのですがコロナの影響で時短営業だったり、混んでたり、と、良いところがなくて、結局カラオケに行きました。
 
歌う前にしっかりと論文ミーティングしましたカラオケの部屋のテーブルにパソコンが登場し、正直びっくりしました。(笑)

メリハリとはこのことなんだなと、中小企業班の活動を通して既に100回くらい感じてます。

 


そして9月30日はK7のこうきさんの誕生日ということで、K8の先輩方によるバースデーサプライズがありました!こちらも発想からして本当にすごくて、、、すごかったです。(語彙力鍛えます。)
簡単に言うと、『香水』を替え歌してその歌と共に次々と誕生日プレゼントが出てきて、

oyatuS__61792330.jpg


途中、本物のドルガバの香水が出てくるという感じです。
 dorugaba121586.jpg
 
 素敵ですね


そのあと先輩方の素晴らしい歌を聞かせていただきました!パフォーマンスだったり、歌そのものだったり、いろんな意味ですごかったです!


前置き長くてすみません。本当に楽しかったのです。
 



では、本題に入ります。
先日、朝日新聞に、私たちの読書課題「日本社会のしくみ」の著者の小熊英二さんのインタビュー記事が載っていたので今日はその記事を元に話します!(偶然この小熊さんの記事を見つけただけで毎日新聞を読んでいるわけではないですが、、、)


 
新型コロナウイルスの危機をきっかけに格差の問題が強く意識され、米国では人種差別の問題が先鋭化しています。肌の色が違うだけで経済格差ができたり、社会的発言ができる機会の格差、医療や教育にアクセスできる機会の格差などができたりしてしまいます。

米国ではこうした様々な格差は「人種」という区分と重なる形で生じているという意識が強いのです。
 



では、そもそも人種差別という問題は、近代の日本ではどのように考えられてきたのでしょうか。
 


当時の人々は「人種差別は西洋にはあるが日本にはないものだ」と考える一方で別の形で差別がありました。
 



人種という概念は明治の初めに日本に入ってきましたが、米国のようには使われませんでした。


人種という指標を使うと
・自らは有色の黄色人種とみなされ、西洋人より劣位に置かれてしまう
・台湾人や朝鮮人いった人々と日本人がどう違うかを説明するにも、人種は使いにくい概念
 
という問題が出てきてしまいました。ここで発明されたのが日本語の「民族」という概念です。
 
この「民族」は
・独立して一国を成すべき集団である
・内部に分裂がない
・千年単位の歴史を共有している
 
という概念を持っています。
 
 


このように、米国では「人種」という考えがあることに対し、日本では「民族」という考えがあります。



では、米国社会の人種差別と戦前の差別を比べたとき、何が見えてくるのでしょうか。


 
米国
図式化すると階段型のイメージ。
上の段には白人がいて、下の段には黒人がいるが、白人の内部は平等。
 

日本
天皇が頂点にいるピラミッド型社会
 
このような感じで、米国の人種主義は白人内の身分差別の撤廃の副産物という考えに対し、日本は日本人の内部にも身分や差別があって当然という考えでした。
 




しかし、戦前には「日本は人種主義を乗り越えた国であり、西洋より倫理的に優位にある」とされていました。


当時の日本の人々は、西洋から人種差別をされているという被害者意識は持っていました。しかし、自らが支配・差別をしているのは希薄でした。朝鮮人も肌の色は同じだから人種差別ではない、と考えていたそうです。そのため、日本は人種差別がない国というより人種主義以前の国だったかもしれません。
 
 
小熊さんは、大日本帝国は有色人による有色人の支配で、支配や差別の自覚を欠く「有色の帝国」だったと形容しています。



1945年の敗戦を機に大日本帝国自体は消滅させられましたが、「民族」という概念は、


・差別をしているという自覚がないこと
・「国のお荷物になる」とみなされた者が差別されること
・内部の分裂を起こすとみなされた者が差別されること


などの点において、残っていると考えられます。
 


例えば、生活保護を受ける人々や政府に人権侵害を抗議する人々が不当に非難されるなら、それは差別です。肌の色を基準とする米国型の人種差別とは違うかもしれませんが、これも立派な差別であり、差別のありようは社会によって違うそうです。
 


 
日本はこのように、自らが生み出した民族という言葉の呪縛を、どうしたら超えていけるのでしょうか。
 
まず、今の日本の人々は国の独立が脅かされる危機を感じてはいません。そのため民族という日本語も、かつてほどまがまがしい言葉ではなくなりました。



しかし、差別があるのにその自覚がない傾向は今も強いです。日本の政府は国内の「民族」統計をとっておらず、日本に人種差別や民族問題は存在しないという立場を取ってきました。国内の差別を直視しないという点では、民族という概念の呪縛は続いているとも言えます。



まず、国内に差別があることを認識する。このことが「民族」という呪縛を超えていくための第一歩ですね!



お読みいただきありがとうございました!

 

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コメント

No title

人種と民族の違いを学びました。海外の人種差別がよく取りだたされますが、十分日本国内でも起きていることを認識させられました。
差別をされる側になって、差別の不道徳は感じられると思います。そこで立場の弱い人に合わせたお店があるのをネットで見かけました。(障害者に合わせた設計のお店で、健常者を不遇に扱う)
社会に対する強い主張に取れるなと感じました。
そこまでしないと差別は無くなる気配は無い気がしました。

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